自分の感覚を信じる
先週末、太平洋側では大雪となったようですね。
慣れない雪で、皆さま大変だったことと思います。
お疲れ様でございましたm(__)m
一方、日本海側のペコ地方は、そこまで大雪になりませんでした。
なんだか、ごめんね。って感じです^^;
その後のペコさん。
痙攣風味な震えは、ほぼ、毎日のように起きています。
これ、しっかり眠ってしまうと、止まるんですよねぇ・・・。
心配。じゃなくて、なんだろう?という感じかな?
とりあえず、今は様子見です。
先日、お散歩から帰って、その痙攣風味が不安だからなのか、
ただ単に、ストーブにあたりたいだけ(笑)なのかわかりませんが、
ぴったりくっついてきました。
自分からこんなに寄り添ってきたのは、初めてです。
今日は朝からお天気もよく、
朝んぽから帰ってから、しばらくお庭ドッグランに放牧しました。
んでもって、ほぼ毎日だった痙攣風味の震えが、
今日はまだ起きていません。
んー・・・。
お天気のせい?
放牧のせい?
ペコさんは、そんな毎日ですが、
変わらずに、食欲もあり、うん様もモリモリで、元気もいいし、
それだけで、私は犬の神様に感謝していますヽ(゚∀゚)ノ
ペコが発作を起こしてから、色々考えていました。
ペコは4か月くらいの頃から、噛みや興奮で大変になってきて、
ネットを探すうちに、
偶然、チャーリーママさんのブログに出会うことができました。
それからは、「犬の福祉」にのっとった、
罰のない育て方をしてきました。
だから幸いなことに、
巷にあふれる「支配性理論を基本とする間違った犬のしつけ」を、
ほとんど施す事をせず、今に至っています。
それからの私は、犬のことも、
自分なりに色々勉強してきたつもりです。
・・・あぁ、でもこれは、まだまだ。ですが。
で、勉強してる。にもかかわらず、
心が揺れるんですよね。
それは、「一生懸命になりすぎる。」こと。
例えば、興奮しぃなペコが、興奮を鎮められるように。
そう思って、一生懸命遊びに誘ったり、
そして、興奮した時には声掛けや、
インターセプトで止められるように取り組んだり。
その取り組みは、今、確かに役に立っています。
ワワワワーーーーっ!!!と、我を忘れて興奮して走り回るペコの前で、
私が腕組みをすると、サ〜っ!と興奮が鎮められるようになりました。
勢い余って「咬み」が出てしまうことも、時々だけど、まだあるけれど。
これ、発作が起きなければ、まだまだきっと続けていたと思います。
今だって、一緒に雪の広場を走りまわったり、
ボール投げをしたりしますが、
以前よりも、短い時間。にするようになりました。
それがたとえ正しい情報。と言えども、
その情報をよりどころとして、
目の前の犬の様子を感じることをせず、
間違ったまま延々と続けるのは、違うんじゃないか?
というか、実はそれを感じているのに、
感じるのを封印しようとするのは、違うんじゃないか?
チャーリーママさんは、延々と続けろ。とは、
決して言ってないんです。
遊びは、短時間で。興奮させすぎない。
と、きっちり明言しています。
けれども、「問題」をなんとかしたい。と思っていると、
その一生懸命さが間違って「過剰」になってしまう。
「間違った方向への一生懸命」が、かえって仇になる。ということだってある。
そう考えると、最も大切なのは、
目の前の仔を見る。ということで、
こう書いてあるけれど、実際、この仔を見ていると、
必ずしもこうしなくても、いいよね。って、
自分で判断できる力。というんでしょうか。
例えばよく本に書いてあったり、
ショップの店員に初めに言われる言葉。
「仔犬の頃にはケージに入れて、なるべく触らないようにすること!」
これも、ケージという狭い中に閉じ込める。と考えれば、
それは、罰になるのかもしれないけれど、
「脳を成長させる」ためには、「睡眠」が必要であり、
いつも外に出して興奮させていたら、
その「睡眠」だって「不足」するでしょうし、
そういう意味では、静かに寝かせておくことだって、必要でしょう。
ケージは絶対だめ!室内でフリーが一番!と考えて、
走り回らせっぱなし。というのは、おかしな話。
これは例えば。の話だけれども、
ひとつひとつ、誰かの言葉をそのまま取り入れるのではなくて、
ん?どういう意図なんだろう?
実際、それは、この仔にとってどうなんだろう?って、
そんでもって、この仔に一番快適なことは何か?って、
いったん自分の中で考えることって、とっても重要なんジャマイカ?
自分の感性?感受性?理解力?判断力?を信じることって、
自分に自信がない私にとっては、難しかったりするから、
つい、そのままの言葉を受け取って、迷ってしまうんですけどね( ̄▽ ̄;)
だからね、自分に自信を持つためには、
もっと勉強しなくちゃ!なんだよねぇ・・・。
そんなふうに、自分の学ぶ姿勢。について、
改めて考える今日この頃なのであります。