セラピー活動@ペコ 〜雑感〜
ペコを連れて実家へ行き、
今まで気づけなかった色々な気づきがあったので、
覚書で記録しておこうと思います♪
前回の記念写真。
何枚か撮ったうちの、一枚です。
母が指さしながら、ペコに何やら言ってます。
「ペコ!カメラ、あっちだよ!」
ペコ爺と先を歩くペコさん。
おばぁちゃんと、おかーさんは、まだかな?
ペコを見るたびに言ってました( ̄▽ ̄;)
「この仔、よう肥えとるねぇ!」
前回の記事では、ペコが夕方から母にガウガウしてしまった。
と書きましたが、室内で、こうして対面しても、
ガウらない事の方が多かったのです。
ペコを連れて行く前、
ドッグセラピーの事を調べたり、また本を読んでみて、
介護の現場に行く仔たちは、
その素質や、トレーニングによって、
人が好きで、従順で、大人しく、
吠えたり、噛んだりしない仔。というのは理解していましたし、
また、そういう仔でないと、
セラピードッグとしての役目を果たせないんだろうな。と思っていました。
なので、ガウガウで噛みが出るペコを連れて行くことは、
まったくもって、無謀に思われるかもしれません。
しかも、母が犬がキライ!と言ってるし( ̄▽ ̄;)
けれども、
今回、ペコを連れていって、
ペコにガウガウされながらも、ペコを怖いと言いながらも、
目の前のその「命」に対する「慈しみ」の感情って、
自然と湧き出てくるもんなんですよねぇ。
母はしきりに、ペコにお菓子をあげたがりました。
母の気持ちは、
「お菓子をやって、仲良くしたい」でもなければ、
「お菓子をやれば、ガウガウしないだろう」でもなく、
「お菓子で言うことをきかせよう」でもないのです。
ただ純粋に、
「命を慈しむ気持ち=お腹を満たしてあげたい」ということ。
だから、ペコが美味しそうにカリカリと音を立てて食べる姿を見るだけで、
きっとお互いに、
満たし、満たされた気持ちになったであろう。と。
ペコを連れてきたことを、
時々思い出したように責める母もいました。
そのたびに、頭のハゲを見せながら、
「てんかんの発作が出ちゃうから、ひとりで留守番させられなくて。
ほらね。検査もしたんだよ。」
と言うと、
「まぁ!そりゃぁかわいそうだったねぇ!」と、
心から心配そうにしてくれたり。
命を慈しみ、大切に思う気持ち。
それって、
本来は、人には元々備わっている気持ちなんジャマイカ?
それが、いつしか、
人は、犬をしつけることに躍起になって、
忘れてしまうんだよねぇ。
本物のセラピードッグのように、
人が好きで、従順で、大人しく、
吠えたり、噛んだりしない仔。
・・・には当てはまらないペコだけれど、
だからこそ、母の感情を、ここまで引き出してくれたのかもしれない。
とさえ思えるのですよ。
まぁ、できの悪い子ほど、可愛い。みたいな感じかもですが( ̄▽ ̄;)
セラピードッグの子守歌 認知症患者と犬たちの3500日 (介護ライブラリー) (2011/11/08) 真並 恭介 商品詳細を見る |
前回書いた、読んだ本の中の一節です。
触れ合っている生きものの「現実」が、
自らの現実性が希薄になり、
過去のある時代が現実になってしまっている人たちを、
再び今の現実の関係性の中につなぎとめる。
おじいちゃん、おばあちゃん!
はやく、おさんぽにいこうよ!!
ペコさん。
君の存在が、
おばあちゃんを笑顔にしたのは、確かな事実だよ。
※前回も書きましたが、
家族間のものであり、あくまでも個人的なものです。
その点、ご理解下さい。