ペコさんくれろ

育犬日記@黒柴ペコ

長いお別れ

ようやくこの時期らしい寒さになってきたペコ地方。

今朝んぽは、冷たい雨の中。

それが時々バーーっと雨が止んで青空になるのです。

おお!やっと来たね!って、ちょっぴり嬉しい。

名古屋育ちな私は、なかなかこの季節に慣れなくて、

冬になると物悲しく感じていたのに、

時の流れは色々に、私を変えていくのねぇ。

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さてさて。

今日は連休二日目。

ツイッターでお友達が紹介してて、早速ポチした本が届きました♪

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アメリカでは、認知症のことを、ロング・グッドバイと呼ぶんですね。

 

元中学校の校長先生だった、三姉妹のお父さんが(昇平さん)が、

10年という時間をかけて、ゆっくりと家族とお別れをするお話しです。

 

 

第一章から、涙腺が崩壊して、

読み進めるうちに、何度か声を出して笑い、

読み終わって、心がしーんとしたよ。

 

 

三姉妹はそれぞれの暮らしがあって実家を離れているため、

お母さん(曜子さん)が介護する。という老老介護の日常は、

どうしたって、ペコ爺とペコ婆に重なってきてしまいます。

 

しかも、昇平さんの様子が、ペコ婆のそれとそっくり。

 

例えば・・

昇平さんがケーキの銀紙や、お菓子の包み紙の皺を丁寧にのばし、

大事に空き缶に集めているところと、

ペコ婆が、トイレに入るたびに、

トイレットペーパーを折りたたんだ束をいくつもこしらえて、

大事に鞄にしまうところ。

 

他にも共通点がたくさんあって、ていうか、これペコ婆のことじゃ?

みたいな感じで、どんどん感情移入していく私。

 

久々に実家に集まった三姉妹が、そんなお父さんの姿に動揺する気持ちにも、

わかる!わかる!って頷いたよ。

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けれども、妻である曜子さんには、そこまで悲壮感がないんだよね。

夫が認知症だと知ると、みんなが同情するけれど、

 

ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。
で、それが何か?

 

そんなふうに言い切る強さを持ってる曜子さんは、

なんだかペコ爺とも重なってしまう。

 

いつも昇平さんのことを第一に頑張ってる曜子さんなのだけど、

時々腹を立てることや、文句や愚痴を言うこともあって、

完璧でないところにも、人間味がある。

 

 

そうそう!

薬を飲むのを拒む昇平さんと、ペコ婆が、また同じで笑った。

 

拒む昇平さんに、ヘルパーさんが、

「これは、先生、アリセプトというお薬なんですよ。 

   これを飲みますとね、脳内のアセチルコリンを分解する

 アセチルコリンエステラーゼという酵素の働きを

   ブロックしますから・・(略)」

という説明をしたら、

「じゃ、あんたが飲め!」って(笑)

 

私もちょうど先日、実家に帰った時、

薬を飲むのを拒むペコ婆に、同じような事を言ったら、

「じゃ、〇〇ちゃん(私の名前)が飲めば?」って言われたっけ(笑)

 

結局は、ペコ爺が、薬の袋を開けて、口元に持っていくと、

いやだ、いやだと言いながらも、口をあけて飲んでいたペコ婆。

無理やりにも見えなくないけど、

それは、二人の関係だから、できることなんだろうな。

 

昇平さんのところに来たヘルパーさんは、

明るく熱心な若いヘルパーさんで、とても良い人だったし、

認知症患者に対しては、子ども扱いのようなことをせず、

人として尊重するという信念があり、

それが、昇平さんの自尊心を救ったし、敬服に値する態度だったのだけど、

その信念にもとずく説明が功を奏したことは、一度もなかった。と曜子さん。

 

何が変わってしまったというのだろう。

言葉は失われた。記憶も。

知性の大部分も。

けれど、長い結婚生活の中で二人の間に常に、

あるときは強く、

あるときはさほど強くなかったかもしれないけれども、

たしかに存在した何かと同じものでもって、

夫は妻とコミュニケーションを保っているのだ。

 

たしかに存在した何かと同じもので、ペコ婆とペコ爺は、

コミュニケ―ションを保っているのだね。

もちろん、そこには、

人を人として尊重する信念は、絶えず静かに流れているのだろう。

 

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認知症と、犬育てを同じにすると、けしからん!って言われそうだけど・・。

言葉が失われていく認知症と、言葉を持たない犬たちの、

伝わらないもどかしさが、同じように思えてくるよ。

 

 

言葉が失われていき、意思を伝えることがままならなくなってくると、

認知症の人が、唯一伝えられるのは、NO!(拒否)なんだよね。

NO!は自信を持って言える、意志表示。

 

 

言葉を持たない犬たちが、NO!(拒否)を示した時、

それは、意思を伝えることがままならなくなっているから。なのかな。

 

 

けど、犬だって、たしかに存在した何かと同じもので、

コミュニケ―ションを保つことならできるんじゃないかしら。

もちろん、そこには、

犬を犬として尊重する信念が、絶えず静かに流れているからこそ。