13年前のあの日のこと
今を遡ること13年前。
介護保険が登場し、国がホームヘルパーを増産しようとしてた頃、
実は私も2ヶ月間、朝から夕方までみっちり学校に通いその資格を取りました。
介護の世界に志があったのは確かだけれど、
「これからは介護だ!」みたいな、
よこしまな気持ちがあったのも、正直なところ。
資格取得のためのカリキュラムは、講義だけでなく、
実技や実際に施設に行く実習や、在宅のお宅に行くこともありました。
そんな資格があるのに、いざ、認知症になったペコ婆を前にして、
何もできない、わからない私。
オタオタして、今になって、本読んだりしてるのは、
講義の内容とか、ほとんど覚えていないから( ̄▽ ̄;)
でも、生徒同士で行った身体を使った実技や、
体験した実習のことは、わりと鮮明に記憶してるのよね。
例えば、
片麻痺がある場合の着替え。
麻痺がある方(患側)から先に腕なりを通して、
麻痺がない方(健側)を後から通す。
脱ぐときは、その逆。とかね。
自分の腕を動かさないようにして、着せ合いっこしたから、よく覚えてます。
そう考えると、頭で覚えた知識って、繰り返し使わないと意味がない。
けど、記憶ってのは、場所と繋がったり、実際に身体を使うことで、
断然違ってくるというのも、頷けたりする。
あ。話がそれちゃった ( ̄▽ ̄;)
そんなわけで、
講義がひととおり終わり、いよいよ在宅介護の実習。
2日間、本職のヘルパーさんについて、何件かのお宅を回りました。
実習2日目。溶けない雪が残る、寒い日でした。
訪問先は、離れの部屋にひとり、
寝たきりでいるお年寄りが住むお宅。
母屋のご家族からは、ヘルパーが来たことも、
帰ることも報告不要と命ぜられているそうで、
離れの玄関から、挨拶もせず家に入りました。
お年寄りが寝ている部屋の襖を開けると、私は言葉を失いました。
部屋は雨戸が閉められ、ストーブも消えて、真っ暗で寒い。
着替えと清拭、オムツ替え、体位交換をするために、
まずは電気をつけ、ストーブを点火し、部屋を暖めることから始めます。
身体に触れた手が冷たくないよう、ストーブの火で自分の手も温めました。
介護用ベッドに横たわるお年寄りは、
痩せて肌は白く、私の目には、ほとんど反応がないように見えました。
滞在時間はきっちり30分と決められていて、
時間になると、ストーブを消し、電気を消して、
その部屋を後にしました。
来た時と同じように、母屋に声をかけず、
そのまま車に乗り込みました。
私は思い切って本職のヘルパーさんに、
もう少し環境を良くすることを、ご家族に要望できないものか?
と尋ねました。
すると、
家族から依頼されてること以外、関わることができない。
もしそれをしてしまうと、ここに来られなくなる。
だから、今は自分ができることを精一杯するしかない。とキッパリ。
※13年前の話だから、今は在宅介護の事情も、変わっていることを祈ります。
当時、まだ30代の私。
その時は、ヘルパーさんの言う意味が、よく理解できなかったのですよねぇ。
きっと無力さを感じてしまったのだと思います。
結局、資格を取ったものの、その後、介護の職につくことはありませんでした。
たった30分の体験だったのに。若かったね。甘かったね。
でも今なら、その意味がわかるような気がします。
その時できることは限られているけれど、
きっと、希望を持って臨んでいたんだろう。
続けていくことで、いつか変えられるという希望。
それから何年かたって、ペコと暮らすようになって、
人の無理解から、困っている犬たちのことを知りました。
今度こそ、見てみぬふりはしたくない。
こうしてコツコツ書き続けているのは、私の希望。
そして、あの日の私の若さ、甘さへの後悔。