取り繕いは社会性の現れ
曇り時々雨、そして時々青空なペコ地方。
これぞ北陸ならでは。な空模様でありました。
Facebookの昨年の今日。
こんなに積もってたんだねぇ。
それにしても、イケワンだわ ( ̄▽ ̄)
ワタクシ、今日も一日、認知症のあれこれを、
読んだり調べたりしていました。
犬育てブログが介護ブログに変わるのか?
いやいや、そんなことではなく。
むしろ、犬のお勉強と繋がることばかりなのでありますよ。
最近私が最も感じる共通するところは、
やっぱり、人としてどうありたいか。かな。
んー、そこいら辺はまたいつか。
今日新しく知ったこと。「アルツハイマーと、取り繕い」
記憶が抜けてしまったところや、
外からの情報を適切に処理・統合できないことに対して、
とっさに機転を利かせた対応をすることをいいます。
例えば、自分にとって良くない状況になった時、
それを周囲に気づかれないような言動をとる、といったことがあります。
これは、「周囲から取り残されたくない、周囲の人と何とかその場をうまく過ごしたい」といった気持ちからおこるものではないか、と言われています。
ただ、この取り繕い反応は無意識にとってしまう言動なので、
「うまくごまかそう」と考えてしているわけではありません。
ある日のペコ婆と私の電話でのやりとりです。
今日は寒かったでしょー?こちはミゾレが降ったよ!
んー、寒いと言えば寒いのかねぇ。
そっちのお天気は良かった?
天気ねぇ。色々だわねぇ。
もう晩ご飯食べた?
そういうものはどうだかねぇ。
まぁ、食べたんでしょう。
全てにおいて、
わからない。と答えず、
会話を成り立たせようとするんです。
これ、アルツハイマーに多い、取り繕い。というものだったんだねぇ。
わからないから、適当に答えているのではなく、
社会性の現れだったんだね。
ペコ婆、対人関係を保ちたい。そう思ってるんだよね。
そんなことを知ったら、ますます愛おしくなったよ。
知ることって、大事。
知ってること、知識が多いことが凄いのではなくて、
より良く共に生きるために、知ろうとする姿勢が大事なのだと思う。